新
プロカメラマンへの道 指南役/柳沢雅彦
VOL.6
みずからチャンスをつかめ
プロカメラマン志望者のための入門講座として、第一線の写真家みずからが熱く本音を語るシリーズ企画です。大好評のうちに連載1周年を迎え、2002年1月からは「~唯我独尊Q&A編」として装いも新たにスタートしました。詳しくはこちらのページをごらんください。
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「まったくチャンスに恵まれなくて…」とボヤく人がいる。「今は若い人が才能を発揮できない時代なのかな」と同情する人もいる。銀座のフォトサロンを見て回っていたら、若者とお年寄りとの何げない会話が耳に飛び込んできた。
この春、東京の写真専門学校に入学したという男の子と、アマチュアとしての写真歴が数十年という白髪のオジイちゃん。どちらも人が良さそうなのだが、話の内容が少しも前向きでなく、ただ退屈しのぎの会話のように思えてならなかった。
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サロンをあとにして、近くのカフェでくつろいでいたら、この2人の話が妙にひっかかった。私は特におせっかい焼きではないし、よほどのことがないかぎり自分から話しかけるということもしない。「来る者拒まず、去る者追わず」の姿勢である。
はたしてチャンスというものは「恵まれる」ものなのだろうか。そして、いま才能を発揮している若者は本当にいないのだろうか。何げない会話のなかに、実は大きな問題が潜んでいるような気がしてならない。
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私が思うに、チャンスというものは、なりふりかまわず必死につかむものだ。もちろん他人に迷惑をかけてまで、とは言わないが、その場の「カッコよさ」「スマートさ」だけにこだわっていては、一瞬にしてチャンスを逃してしまう。
いくらブランドものの服を着ていても、2度とない決定的瞬間を捉えるためなら、私は、とっさに腹ばいになってシャッターを押す。泥まみれになってもいい。たとえ高価な服が台なしになってしまっても構わない。私とても決して、おカネが余っているわけではないが、いい写真が撮れたら、それで儲けて、また同じものを買えばいい。
さすがに敬愛する戦場カメラマン、沢田教一(ピュリッツアー賞受賞)のように命までかける勇気はないが、万一の場合には全財産を投げうつくらいの覚悟で、これまでやってきた。要するに「自分の才能に、どこまで投資できるか」ということだ。
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チャンスというのは「恵まれる」ものではなく、渾身の力をふりしぼって「求める」ものなのだ。私の写真を見て「(被写体が動いているシーンも静止しているシーンも)みんな全力疾走している写真ばかりだ」と言った人がいるが、もしかしたら写真のなかに撮る者の「生きざま」が滲み出るものなのだろうか。
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体を張ってチャンスを求めない「ひ弱な」若者と、口先だけの同情で済まそうとする「曖昧な」お年寄りと…。両者の無味乾燥なキャッチボールが続くかぎり、いつまでたっても優れたプロカメラマンは生まれそうにない。
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