谷口与鹿との想い出 語り部・柳沢雅彦

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  師匠の形見をかけた決闘

 谷口与鹿が夢の中で男に予言した競売は、まもなく有名なインタ ーネットのオークションサイトで突然はじまりました。あらかじめ 男が「谷口与鹿」の名前をアラートに登録しておいたので、くだん の掛け軸が出品されると同時に男のもとに通知が来ました。  いま何人が関心を寄せているかの数字もパソコンの画面にリアル タイムで表示されます。また注目度が高いとそれも頭に表示され、 いっそう見物人の興味を誘い、射幸心を煽ります。オークションを 盛り上げるための仕掛けは盛りだくさんです。  男の隣で一緒にパソコンを覗いていた与鹿は、ひと通り現代版の 競売の仕組みを説明してもらい、どうやって落札するかの道筋と戦 略を頭に描いたようでした。 「これは面白い。まるで光と影の世界だ。日向に出ている数字と日 陰に隠れている数字がある。この見えない数字さえ巧みに操れば、 かなり有利に戦えそうだ」と得意げに言いました。  日陰になっていて相手からは見えない数字を逆手にとって果敢に 攻めてみてはどうかという与鹿の提案は男にとって新鮮でした。 「壁に耳あり障子に目あり」師匠は弟子に耳打ちしました。  落札の締め切り日時を男にメモさせたあと、オークションのウォ ッチリストから削除してパソコンの電源を落とすよう指示しました 想い出の掛け軸への凄まじいまでの渇望をオークションの期間中い かにして隠し通すかが、最大の鍵になりそうです。  幸か不幸かインターネットのオークションは、お互い相手の顔が 見えません。完全に姿さえ消してしまえば、いとも簡単に無知と無 関心を装うことができます。透明人間に変身することによって、こ の掛け軸への注目と関心をそらす狙いでした。  毎年、高山祭に訪れる観光客には美しい屋台の魅力を紹介するパ ンフレットが配布されます。そこには日本三大美祭のひとつ高山祭 の功労者として名工・谷口与鹿の名前が紹介されていました。  谷口与鹿は飛騨の人なら誰でも知っている歴史上の偉人です。し かし遠路はるばる国内外から訪れる大勢の観光客にとっては、祭の 期間中だけ喝采を浴びる夢まぼろしの蜃気楼のようでした。  たまたま、この年は世界じゅうに猛威をふるうコロナ禍の影響で 春と秋の高山祭が戦後初めて中止になりました。そのため例年ほど には、谷口与鹿のビッグネームも巷の人たちの目に触れることはあ りませんでした。この絶妙なタイミングで師匠の形見をかけた決闘 が繰り広げられるなんて、男にとっては何という幸運でしょう。   与鹿の言いつけさえ忠実に守れば、知知る、いや故郷の人 ですら知らない秘密の掛け軸を落札できそうな希望が男の胸に芽生 えました。かけがえのない師匠の形見を入手できる願ってもない絶 好の条件が、すべて揃っています。  千載一遇のチャンス到来に、男は武者震いしました。
続く

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