第13話
突拍子もない話の展開に⋯⋯
「ですよね。曲がったことが大嫌いな師匠が、そんなことを私にさ
せるはずありません」胸をなで
おろした男は、さらに尋ねました。
「どなたか使いのかたが縁起の良い唐草模様の風呂敷に包んで私の
もとに届けに来てくださるのでしょうか?」
「それほど世間は甘くない!」きっぱりと与鹿は否定して
「どういうわけか
近々アレが競売にかけられるようだと風の便りに
聞いた。それをお前が責任もって落札するのだ」と。
突拍子もない話の展開に、男の表情が、にわかに曇りました。
「師匠、ちょっと待ってください。あの掛け軸は私にとってかけが
えのない逸品です。でも今まで私は良い写真を撮るためだけにお金
を全部つぎ込んできました。
日々の生活をするのに精いっぱいで、
恥ずかしながら貯金もありません。もし競売という形になれば、こ
こは弱者の味方として名高い石川五右衛門さんにでもお願いしない
と
⋯⋯」
「お前の立場は十分にわかって
おる。それは飛騨の匠とても同じ。
手間暇かけて最高のモノを目指せば目指すほど、どんどん貧乏にな
ってゆく」与鹿は男の境遇に同情しながら、なおも話を続けます。
「トンビに掛け軸をさらわれたら取り返しがつかない。まぁ、カネ
のことは心配するな。お前が用意できないなら、足らない分はオレ
が何とか工面して後ほど届けさせる。とにかく競売が始まったら、
大船に乗った気持ちで、どんなに価格が吊り上げられても臆するこ
となく喰らいつけ!」
いくら尊敬する与鹿の命令とはいえ、さすがの青空天井には男も
震え上がりました。
「かしこまりました。でも万一にも師匠からのお金が届かないと私
も自己破産してしまいますので、これから資金を出してくれる人を
必死に探します」落札のために全力を尽くすことを約束して、男は
与鹿と別れました。
「さて、どうやって競売のための軍資金を捻出しようか?」男は無
い知恵を絞って考えました。
これまで男は、自分を飾るためのブランド品なんかに目もくれま
せんでした。ちょっと大袈裟な表現をすれば、物欲への執着心は限
りなくゼロに近い人生でした。
ただ後進を育てることには人一倍熱心でした。来るもの拒まず
⋯
⋯頼まれれば誰でも弟子にしてやり、一緒にコーヒーを飲んだり食
事をしながら時間とお金の許すかぎり懇切丁寧に指導していました
。
たまたま、そんな弟子のうちの一人が訪ねてきて「おかげさまで夢
が叶いました。お役に立てることがございましたら、何なりと仰っ
てください」と言いました。
詳細については明かせないため「実は、ちょっと野暮用があって
ね」と男が言葉を濁すと
、弟子はそこで話を遮って「わかりました
。
すぐに戻りますので
⋯⋯」と言葉少なに席を立ちました
。
しばらくして戻ってきた弟子は「どうぞ」と言って男に分厚い封
筒を差し出しました。
その場で男が中身を確めたら、帯封のついたままの現金が入って
いました。びっくりして「これは?」と弟子に聞くと、はにかみな
がら「私を育てていただいたお礼です」と控えめに答えました。
ずっと男は弟子たちから金品を受け取らない主義を貫いてきまし
た。しかし今回ばかりは遠慮なく弟子の温かい心遣いを受け容れる
ことにしました。
男が師匠の形見を受け取るためのお金をどうやって都合しようか
とあれこれ思案していたら、折しも与鹿の弟子の弟子、すなわち孫
弟子がそれを届けてくれたことに不思議な縁を感じました。
「カネは天下の回りもの」とは、よく言ったものです。