谷口与鹿との想い出 語り部・柳沢雅彦

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  実際に写真を撮影したのは
   誰だったのか?

 谷口与鹿の屋台彫刻に初めて出会ってから五十年、写真家として も三十年の歳月が流れました。写真家としての経歴を眺めるだけで は、男の写真の本質は見えません。しかし、ふるさと飛騨高山写真 展を注意深くご覧になると、それが垣間見えるシーンがあります。  たとばカワセミのオスとメスが川面で激しく乱舞するシーン。 これは喧嘩でなくお互いの愛を確かめ合う神聖な恋愛バトルです。 なぜ、こんな決定的な瞬間が撮影できたのでしょうか。  男がシャッターで時の流れを刻むと、まるピアニストの演奏の ように歯切れの良い決定的瞬間が紡ぎ出されました。繊細な調か ら壮大な響きまで緩急自在です。  男は自分の写真を褒められるたびに「どうして、こんな写真が撮 れたのか全然わかりません」と首をかしげました。決して自慢する ことなく、まるで他人事のような口ぶりです。  それもそのはず。カワセミの神聖な恋愛バトルだけでなく、男が 写真家として撮りだめてきた作品には、て与鹿の息がかかって いました。シャッターを押す指先ばかりではなく、体の芯までも与 鹿が操る「からくり人形」のようでした。  男がカメラで描いたのは、孤高の表現者、谷口与鹿の残像だった のです。飛騨の匠の頂点に君臨する天才肌のまばゆい自然体。見る ものの想像力をかきたてる余情の美学⋯⋯高山祭の屋台彫刻に身を 潜め、しぶとく現代まで生き続けいる与鹿の魂が、男の肉体に宿 って巧みに写真を描いてみせたのです。  男の写真には、数奇な運命にもてあそばれながらも栄光を極めた 与鹿の情熱と波乱に満ちた人生がっていました。  写真家の男を陰で温かく見守りあるときは全力で支えながらも、 自分は人前に姿を見せず、いつも黒子役に徹する与鹿がいました。  はたして自分で撮影しているのか与鹿の美意識を表現するために 代わりにシャッターを押しているのか、写真家本人さえもわからな いほど二人は一心同体でした。  飛騨の地酒を呑んで眠りにつくと、たちまち男の夢の中に与鹿が 出てきて、写真家として生き抜くための奥義を夜ごと授けてくれま した。目が覚めているときよりも眠っているときの方が、はるかに 学んでいるという充実感がありました。  また苦しいときも、悲しいときも、スランプを脱出できず七転八 倒するときも、白昼夢のように与鹿が登場し、平常心を保つための インスピレーションを絶えず男に吹き込みました。 「未知の領域に挑みつづけるお前は、向かうところ敵なしだ。勝た なければならない相手は、お前自身の中にいる。昨日のお前を踏み 越えてゆけ」 それが与鹿の口ぐせでした。
続く

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