谷口与鹿との想い出 語り部・柳沢雅彦

   第7話
  摩訶不思議な出来事

 男はスポーツ写真からダンス写真、そしてネイチャー写真へとジ ャンルを次第に広げていきましたが、カメラ雑誌では編集長に依頼 されてポートレートの写真もたくさん担当しています。  春の高山祭のポートレート撮影では、摩訶不思議な出来事が⋯⋯。 日本カメラMOOKの巻頭グラビアを撮るため、男はモデルのほか にヘアメイクスタイリストアシスタントを引き連れていました。 谷口与鹿の屋台彫刻のデビュー作ともなった琴高(きんこうたい の前での撮影を順調に終えると、それまで撮影を傍らで静かに見守 っていた屋台組の衣装に身を包んだ人が歩み寄ってきてモデルに真 顔で聞きまし。 「どちらのお姫様ですか?」 突飛な質問にモデルは目を丸くして、微笑みながら答えまし。 「お姫様ではなく、日本カメラという雑誌のモデルです」 すると屋台組らしき人は「でしたら、ぜひ私とお姫様が並んでいる 写真を雑誌に載せてください」と。いかにも柔らかな物腰です。 撮影スタッフ一同が呆気にとられていると、素早くモデルの右手を とり「まるで白魚のように美しい」と優しく撫でまし。 この時、撮影のアシスタントが男に身を寄せて 「どうしましょう?」と耳元で判断を仰ぎまし。 一部始終を眺めていた男は「相手は屋台組の人だろう。ここはモデ ルのお手並み拝見だ」と答えまし。  屋台組らしき人には男とアシスタントとのやり取りなんて耳に入 らないのでしょう。愛おしげにモデルの瞳をじっと見つめ 「こんなに綺麗なお姫様とお目にかかれたのは生涯で最高の想い出 です」と感無量の表情を浮かべまし。まるで映画かテレビドラマ のワンシーンのように情感たっぷりです。 「そう言っていただき、とても光栄です。私も素敵な想い出ができ ました」えくぼが可愛いモデルは爽やかな笑顔を振りまきながら、 お辞儀しまし。  このタイミングを逃さず、男がアシスタントに目くばせすると、 彼は「撮影OKでーす! どうもお疲れ様でした」と拍手しまし。 すっかりモデルに一目惚れしたのか、屋台組の衣装に身を包んだ人 は、いかにも名残惜しそうでし。  打ち上げの席は、撮影スタッフ一同この話で盛り上がりまし。 「あれは本当に屋台組の人だったのでしょうか?」(女性モデル) 「いつの時代の人かと思った」(男性アシスタント) 「あの顔どこかで見たことあると思わない?」(女性ヘアメイク) 「恵比須台(えびすたい)に取り付けられている手長足長の彫刻み たいな雰囲気でしたねぇ」(女性スタイリスト) 数えきれないほどたくさんの撮影をしてきましたが、こんな経験を したのは後にも先にも、この時だけです。  何を隠そう、屋台組の格好をした人が初めて「お姫様」と呼んだ 瞬間に、男は正体を見破りました。しかし天才彫り師の谷口与鹿は 男と目を合わせようとしないので、あえて知らんぷりしまし。  与鹿にとって、よほどお気に入りの美女だったのでしょう。それ にしても白昼堂々と公衆の面前にお出ましになったので、天地がひ っくり返るほど男はたまげまし。  後日、与鹿にこの話をすると「あの日はポートレートの撮影だっ たのに、お前がスタッフとの事前の打ち合わせで、写真家と飛騨の 匠が競演するイメージで撮りたいと話しているのを立ち聞きしてし まっ。何をするのか気になって、こっそり現場を覗いてみたら、 見たこともない綺麗なお姫様が屋台の前に立ってい。オレの彫刻 よりもオレ自身が出た方がいいだろうと気を利かせてうっかり姿 を現してしまった心配かけて悪かったな」と照れくさそうでした。  与鹿の話を聞いた男は、こみあげる笑いをこらえながら、下界の 美女に見とれて雲の上から落ちた仙人の話を思い出しまし
続く

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