谷口与鹿との想い出 語り部・柳沢雅彦

   第6話
  サーカスの空中ブランコ
    さながらの写真家人生

 ソウル五輪の写真集「美しき強者たち」を発表すると、いきなり 男のもとにカメラ雑誌から仕事のオファーが舞い込みまし。プレ スカードも持たず観客席から撮った写真ばかりなのに非常に良く写 っていると読者の反響が大きかったようです。  翌年には超望遠レンズでスポーツ選手の内面に迫った写真集「挑 戦者の肖像」を発表。2冊目の写真集で採り入れたクローズアップ 手法は、当時のスポーツ写真の常識だった「選手の全身が入ってい ない写真は失敗写真⋯⋯」というタブーを覆しまし。  新しい表現方法を切り拓いたとして注目され、男はカメラ雑誌の フォトコンテストの審査員に任命されまし。未知の領域にチャレ ンジしないと高い評価は得られないことを男は痛感しまし。  「スポーツ写真=報道写真」だと信じていた男にとって、モスク ワ五輪のポスターコンクールで金賞を受賞した川津英夫さんとの出 会いは、まさに目から鱗でし。 「スポーツ写真も撮り方によってはアートになるんですよ」 エルンスト・ハースの流れをくむ幻想的な作風は、その後の男の運 命を変えることになります。以来、男は「川津先生」と敬称をつけ て呼ぶようになりまし。  ある日、男は東京・代々木のスポーツフェアで偶然にも競技ダン スの会場に迷い込みます。きらびやかな衣装に身を包み、躍動美を 競い合うダンスを見ると、たちまち男は虜になりまし。 「こんなに美しいスポーツがあるなんて⋯⋯」さまざまな名花が咲 き競い、色香が漂う空間は、さながら地上の楽園のようでし。 帰りに、競技ダンスの専門誌を本屋で手に取ってみると、男が会場 で見た光景とは雰囲気が全然違っていて愕然としまし。 「競技ダンスの写真も撮り方によってはアートになるのでは?」 男は、川津先生の言葉を自分なりに頭の中で変換してみまし。  本業のスポーツ写真の合間に撮影した競技ダンスの写真集を出版 すると国際的版画家で芥川賞作家でもある池田満寿夫さんから「衣 装を着て踊る男女が一瞬にして花になる瞬間が闇のなかから浮かび 上がる。それはまさにまったく新しい才能のカメラマンが生まれた 瞬間でもあるのだ」と絶賛されまし。  この写真集は「秘すればこそ花」をテーマに、ぎりぎりまで肌を 露出して繊細な色彩と微妙なブレにより、競技ダンスの甘美なエロ スを表現したものです。  いずれもダンサーが醸し出す上品なエロスを追求した作品ばかり でしたが、ダンス界の評価は真っ二つに割れまし。一部の頑固な お年寄りは「下品けしからん!」と猛反発しましところが、 そんな批判の声も時間の経過とともに自然淘汰されてゆきます。 「どんなに先走っても、道さえ誤らなければ、後から時代が追いか けてくる」谷口与鹿から聞かされた言葉が男の身に染みまし。  東京・銀座をはじめとする全国キヤノンサロンでの写真展は大成 功を収め、とうとうダンス雑誌の表紙担当にも抜擢されまし。  さすがに雑誌の顔ともいうべき表紙では上品なエロスも禁じ手で したが、国内外のトップダンサーたちの美的瞬間をあらゆる手法を 駆使して描ききりました。十八年間も続いた表紙の連載が終わり、 完全燃焼の心地よい余韻に浸っていると、フランス国際フォトコン テストPX3のネイチャー部門で男は金メダルに輝きまし。  ダンス雑誌の表紙を連載しながら、男は気分転換にネイチャー写 真も密かに撮影していました。いかなる野心も抱かず、気の向くま まに撮影しているだけで、新しいフィールドが次から次へと男の目 の前に広がるのです。  さながらサーカスの空中ブランコの軽業師のように、男は撮影す るジャンルをスリリングに飛び移りながら眩しいスポットライトを 浴び続けまし。  まるで谷口与鹿の見えざる手に導かれるように⋯⋯
続く

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