第5話
写真家としての出発点
男が新聞社を辞めようと決意した頃、世界のスポーツ界にはスー
パースターがひしめいていました。まばゆいオーラを放つカール・
ルイスやフローレン
ス・ジョイナーを間近で見てみたいと男は思い
、
プロの写真家としてのデビュー戦をソウル五輪にしました。
もちろん五輪を自由に取材するためのプレスカードなどありませ
ん。一般人と同じようにチケットを購入して観客席から望遠レンズ
で選手を引き寄せて撮影するのです。新聞社の先輩や同僚たちから
は「絶対に無理だからやめておけ」と猛反対されました。男の無謀
な挑戦を止めようとしてくれているのが痛いほどわかりました。
写真を撮れない恐怖よりも写真を撮ってみたい情熱のほうが強か
ったのは若気の至りでしょう。世界じゅうが注目する五輪という大
舞台で、男はスポーツの報道写真を撮るつもりは微塵もなく、メデ
ィアで報道されないシーンを撮影したいという一途な願いでした。
心の奥底からドロドロと噴き上がる灼熱のマグマの激しいうねり
に男は身をまかせることにしました。
「お前はオレ自身だ。どんな写真も撮れないはずはない」出国前、
夢の中に出てきた谷口与鹿から勇気づけられました。与鹿は男にと
って頼もしい応援団長のようでした。
自分が五輪を撮影したかったのか、与鹿が五輪を見物したかった
のか
、今でも判然としません
。男は目に見えない大きな力に抗えず
、
うやうやしく従ったような気もします。
本当にスポーツ界のスーパースターたちの誘惑だったのか、先見
の明がある与鹿の作戦だったのかはわかりませんが、五輪というス
ポーツ選手にとっての最高の檜舞台が男の写真家としての盤石な礎
を築いたのは疑うところのない事実です。
もし男がプロ写真家のデビュー戦を五輪にしなかったら、その後
メディアで活躍するような写真家になれなかったかもしれません。
「カネなし、コネなし、プレスカードなし」三重苦の五輪取材は来
る日も来る日も苦闘の連続
⋯⋯。もし撮れなければ、これが写真家
としての墓標になってしまうという覚悟は出国前にできていました
。
後になって振り返ってみれば、男にとっては学ぶことの多い撮影
でした。踏まれても踏まれても絶対へこたれない雑草魂は、フリー
ランスのデビュー戦で培われました。
命綱のプレスカードも持たず激闘が続く異国の地は、いやおうな
く男を鍛錬してくれる「スパルタ教育」の現場でした。
努力が通じない苦しい局面に遭遇するたびに男は心の中で「獅子
は我が子を千尋(せんじん)の谷に落とす」という言葉を反芻(は
んすう)しました。
文殊菩薩の聖地、清涼山(五台山)に棲む獅子は、生まれてまも
ない我が子をわざと深い谷底に突き落とし、自力で這い上がってき
た生命力の強い子だけを大事に育てるという故事ことわざです。
もし与鹿が自分を突き落としたのなら、それでもかまわないと男
は思いました。厳しい試練を与えて逞しく育てようという師匠なり
の優しさだと感謝しました。
© Masahiko Yanagisawa / SPORTS CREATE