谷口与鹿との想い出 語り部・柳沢雅彦

   第2話
  真剣に悩み人生を考えた学生時代

 男は大学生になりましたが、あいにく自分が志望した大学ではな かったためろくに勉強ず、朝から晩まで酒を呑んでいました。 酔っ払った勢いで大学に行き、講義中すやすやと寝息を立てていま した。当時は今の学生と違い、毎晩のように仲間同士で酒を呑み、 わいわいがやがや陽気に騒ぎました。  最初は大学の近くに下宿していましたが、ひとりで夜明け前から 大好きな魚釣りができるようにと海岸の岩場や砂浜の波打ち際に歩 いていける海の家へ引っ越し、気ままに暮らし始めました。自分で 釣ってきたばかりの新鮮な魚をさばいて、酒の肴にしました。  悪天候で海が荒れ狂う日はヘミングウェイの「老人と海」を読ん だり、ハイネの詩集に涙を流したり⋯⋯。釣りをしているか、本や 詩集を読んでいるか、酒を浴びているか。不漁の日は魚屋に足を運 び、ふぐの刺身を買ってきました。無為徒食ながらも美味礼賛。 衣類や住居については決して贅沢しませんが、いつも食い道楽。や んちゃで自由奔放な日々でした。  あてもなく大海原を漂流するだけの日常のようですが、そんなこ とはありません。「生きるとは?」「愛するとは?」真剣に人生を 考え、いろいろ悩みました。  こよなく酒を愛していたのは、雲の上の存在である谷口与鹿そっ くりでした。我を忘れるほど酔うたびに、与鹿のもとで修業する自 分の姿を夢の中に思い描きました。酒豪の師匠のために酒を買いに 出かけたり、木くずのついた衣類を洗濯したり、薪を割って風呂を 沸かしたり、厠(かわや)の掃除をしたり⋯⋯師匠から言われなく ても、率先して身の回りの世話をしました。  型破りの師匠のためにひたすら尽くすだけでとても幸せでした。 生涯の目標である人物と同じ屋根の下で同じ空気を吸っていれば、 やがて理想の人物像に近づけると信じていました。  ところがある日、谷口与鹿は男に辛い話を切り出しました。 「屋台彫刻の時代は終わった。お前は別の道で一流を目指せ!」 これ以上もう高山祭の屋台は増えないのだから、どんなに良い作品 を完成させても、飾りつける屋台がないというのです。冷静に考え てみると、その通りです。  どこかの有名な美術館に展示してもらっても男は満足できません 高山祭という世界じゅうから観光客が訪れる壮大な舞台で天才彫り 師の師匠と競い合ってこそ意味があるのです。与鹿の説得で男は彫 り師になる夢をしぶしぶ断念しました。
続く

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